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二番街の琴ちゃん

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お祖母ちゃんが使っていた、古い古いストーブ。お祖母ちゃん流に言うと『ケロシン・ストーブ』。

アラジンのシリーズ25と言う1971年製の灯油ストーブ、今でも、実家に帰ると活躍しています。

父曰わく、いろいろ部品を交換し、このストーブの新品が何台か買えるほど掛かっているとか。

自動消化機は居ているが、自動着火など無く、未だマッチかライターで着火します。

でも、シンプルなだけに、消耗品さえ交換すれば長らく使えますね~♪


そんな古いストーブ、週末土曜の晩、2階のボクの部屋で、しっかり活躍しています。

普段使っていない2階の部屋は、とにかく寒い。でも、このストーブに着火すると、直ぐに暖まる。

お祖母ちゃんがやっていたように、上にヤカンを乗せ、加湿も怠りなく~♪

でも、このストーブの、独特の匂い。それは、まぐれもなくお祖母ちゃんの部屋の匂いです。

自分が18歳まで過ごしたこの部屋で、お祖母ちゃんのストーブの匂いを嗅ぐと、

忘れていた、昔の記憶が蘇る。


とっくに消えたはずの幼稚園の思い出も、何故か急に思い出す。

萬年先生、送迎の赤バスから、いつも手を振ってくれた。マーガレットの花が好きだった先生。

小学校の1年は、栗原先生というお婆ちゃん先生。歌が好きで、いつも優しくしてくれた。

小学四年から、イジメが始まった。そんなボクをかばってくれたのが、今は亡きしんのすけ。

彼が居たから、学校へも行った、同級生にいじめられると、必ずしんのすけが助けに来た。

しんのすけの家のレンゲ畑で、彼奴と初めてキスをした。ただ、唇を重ねただけなのに・・・・・

「琴は、俺のお嫁さんに成る、約束だからな」と、強がって言って居たが、

その手が震えていたのは、ボクはしっかり見ていた。


そんな、忘れたはずの記憶が、ストーブの匂いで思い出す。

『記憶の引出を開けるカギは、その時の匂い』と、誰かの本に書いてあった。

そう、開かない引出がいっぱいあるボクの記憶。記憶の匂いで、一個一個開けてみたいですね。

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           因みに12歳のボク、まだ、童顔というか、お多福顔(^^;)


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上の写真が、ハンナお祖母ちゃんです。結婚前の名はハンナ・マリア・カウフマン(亡命後はコールマン)。

そんなハンナお祖母ちゃんの一周忌。三島にいる叔母、東雲の叔父、そして、前橋に居る大叔母、

加えて、ボクの姉家族、弟、みんな集まりました。

でも、仏式の一周忌には慣れたみんなも、カトリックの一周忌はみんな右往左往です。

しかし、祖母と交友があった教会の神父さんが、父の相談相手に成ってくれ、

また、祖母の友達だった信者さんの協力もあって、無事に済ますことが出来ました。

また、昨夜は身内だけでお祖母ちゃんの思い出の夕餉を致しました。

お祖母ちゃんが好きだった、牡蠣料理。牡蠣は、叔父の伝手で、岩手から直そうして貰ったようです。

因みに、生食は止め、牡蠣御飯に牡蠣フライ、牡蠣のバター焼き~♪何しろ殻付き5kg来ましたから~(^∀^)

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食事が終わると、祖母の昔話や今まで見たことのない祖母の写真。

生い立ちや結婚してからの苦労話し、みんな初めての話しです。

ボクの大好きだったお祖母ちゃん、没年87歳、激動の人生だった人です。

1927年、ドイツ南部、バーデン=ヴュルテンベルク州のプフォルツハイムと言う町に生まれる。

6歳の時に、戦時色の濃くなったドイツから、アメリカに一家で亡命。その後西海岸で暮らす。

祖母は、学校を出て、直ぐにアメリカ陸軍の情報官として任官。

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    お祖母ちゃんのアルバムから:『横浜に上陸』と、ただ、どれがお祖母ちゃんか、不明です(^^;)

        
2年後、情報分析官として群馬県太田市の米軍キャンプ(キャンプ・ベンダー)に着任。

そこで、当時米軍キャンプに電気を供給していた某悪名高き電力会社の社員だった祖父と意気投合。

廻りの大反対を跳ね返し、祖父の猛烈なアタックと一途な思いから、ゴールイン。

まだ軍籍が有る頃何回か帰郷したが、後は実の兄の葬儀に2004年に渡米するまで帰郷しない。

30年前、祖父が他界後も、私達孫を相手に魔女のお婆さんとして生涯北関東で暮らす。

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    お祖母ちゃんのアルバムから:当時純日本風な家に、イスの文化を持ち込んだ写真。


これが、当時の祖母、実家の離れで祖父と新婚生活を送った頃の写真。

その後敷地内に洋風一戸建てを建て居住。新居では一切の日本語使用の禁止を決める。

将来、子供や孫が、英語で困らないための方法。勿論、母屋では、バリバリの上州弁です~♪

今でもその部屋は残っています。ドイツからアメリカ、そして日本での生活、どんな苦労があったか。

でも、母に言わせれば、案外ポジテブで、母の方が苦労したたとか、多分に個人的意見ですけどね。


そんな訳で、昨夜は深夜近くまで、家族で祖母の思い出話しをしておりました。



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